そして、ほぼ1年半前、厚生労働省の能力開発課という職場に移って来ました。皆さん方と今日出会えたのもそのお陰ですが、当時の気分としては、特に好きではない、普通に感じられる「仕事」をやるのもいいなという感覚です。そもそも、全く知らない仕事でしたので、好きも嫌いもないということです。とはいえ、実際に仕事をしてみると、いい仕事なんですね。離職された方、高校を卒業した方、障害者の方、あるいは中小企業に在職されている方、色々な方々が、能力をつけて、ステップアップしていくことをサポートする仕事は、本当に素晴らしい。すごくいい仕事ということで、今は、すっかり好きになっていますが、最初は、本当に自分にとっては「普通」の仕事でした。
ただ、異動当初は、普通の仕事もいいなあと言う気分の一方、なんで自分がこのポストに来て、この仕事をするんだろうと思っていたのも事実です。自分にとって普通の仕事であるだけに、余計に、仕事とプライベートは切り離して、新しい仕事はしっかりとこなしながらも、プライベートでは、自分の好きなことを好きな気分でやっていこう!そう思っていたのです。ところが、ここに来て、プライベートと仕事がリンクしてきたのでした。
世の中、不思議なことが沢山あります。働き始めて10年目前後から、自分の中で、仕事とプライベートを切り離して、プライベートの場所では好きなことを空気も読まずにやっていこうと思っていたら、気がつくと、色々な分野の友達ができて、色々な業界に知っている人がいるが散らばっているような状態になりました。おそらく、1000人は超えているでしょう。それが最近の私のプライベート空間です。すると、ぽつぽつと、その中から、仕事とも関係がある人が出てきたり、新たに仕事と関係するようになったりしてきました。
1つは、映画関係者でした。厚生労働省に来て半年程度、まさに去年の今くらいの時期に、六本木の知り合いの弁護士さんが経営するお店で、偶然、青白い青年に会いました。その青年が映画監督の犬童一利さん、「つむぐもの」という映画を監督した方だった。石倉三郎さんが初主演。最近テレビでも活躍している吉岡里帆さんも重要な役所で登場しています。介護をテーマとしており、厚生労働省ともタイアップしている映画でした。実は、現在の仕事では介護の人材育成も担当しているということで、友人だけでなく職場でも広く周知したところ、私関係だけでも100人以上の友人知人に観ていただくことが出来ました。
私自身も、既に犬童監督の個人応援団の気持ちですので、全国各地での監督の舞台挨拶、介護施設でのワークショップに、時間が許す限り参加しています。結果、監督には、将来的は、職業訓練やハローワークも映画のテーマにできるかも?とも考えていただけているようです。また、監督関連の映画関係者だけでなく、気がついたら、介護業界にも、親しくお話し出来る友人知人が広がっていました。気がついたら、プライベートな空間が、徐々に仕事空間に浸食してきた瞬間でした。
2番目は、「ハロートレーニング」です。配付資料の中に、「公的職業訓練の愛称・キャッチフレーズが決まりました!」というプレスリリースがあるかと思います。
(参照:
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000144434.html)
ここにもあるとおり、去年の11月30日に、公的職業訓練の愛称・キャッチフレーズが「ハロートレーニング ~急がば学べ~」に決まりました。選定委員ですが、委員長は作詞家の秋元康先生にしていただき、今野浩一郎学習院大学教授、俳人の神野紗希先生、落語家の三遊亭円楽師匠の四方に委員をお願いしました。
このうち、労働行政を熟知する専門家・重鎮である今野教授以外の委員は、主に2000年前後に知り合った20年来の友人経由でお願いしたものでした。実はこれまで、僕の気持ちを楽にしてくれたプライベートの友人達、仕事関係でお願いできることは分かっていたとしても、実際にお願いごとをしたことはありませんでした。昨年の5月頃は、できれば、プライベートの伝手は使いたくないなあと言うのが、私の本心でした。
とはいえ、国の制度に「愛称・キャッチフレーズ」をつけるのは大きな仕事です。過去の先輩達も考えた構想ではないかと思いますが、偶然にも、私は、実際に実現する現場に、居合わせてしまったのでした。ちなみに、ハローワーク選定時の事実上の委員長は。コピーライターの糸井重里さん。今、それに見合う人と言えば…そうです、秋元康先生しか考えられませんでした。が…多くの方は、無理だろうと考えていました。夢物語です。
ただ、こんな時、偶然にも、私の知人の中に、秋元先生に近い方がいたのです。おそるおそるお願いしたところ、快諾!その後も眠れない夜も多々ありましたが、御快諾いただいた瞬間、私はこのプロジェクトには、間違いなく「魂」が入るものと確信しました。
また、これ以外にも「言葉のプロ」と言える人たちに委員として入っていただきたいと思いました。そして、俳人の神野紗希先生は、俳句界につながるルートを持った友人から、圓樂師匠は、もちろん圓樂党の一員である楽麻呂師匠から委員就任をお願いし、御快諾をいただいたものです。自分の個人的な伝手を使うことに戸惑いを覚えながらも、11月30日のマスコミの皆さんに集まっていただいた公表会が終わった後は、これもありなのかなと思いました。「ハロートレーニング」を選ぶとき、偶然ここにいて、導かれるようにやっていたのかもと。個人的な伝手を乱用するつもりはありませんが、なんだか一皮むけた気分になったのでした。
そもそも、自分はお祭り男だったはずです。自分の親元では余りできていませんでしたが、厚生労働省で、何故か自分が好むような不思議なことができました。今、自分の中で、偶然そうなってしまった。あっ、こんなことがあるんだ、と思いました。
おそらく私自身の人生に対する姿勢と、仕事で身に着けたキャリアとを長く続けていくと、それが別のものであったとしても、いつか一つになるんだなぁとも思ったのでした。