本文へスキップします。

  • AboutUS
  • 入会のご案内
  • 活動・サービス紹介
  • 教育事業者へのナレッジ
  • 個人のお客様
  • お問い合わせ
 
【厚生労働省セミナー】
教育事業者へのナレッジ

講演録【厚生労働省】|JAD

15

私のキャリア形成 ~パラレルキャリア的生活~ その1


講演者:厚生労働省 職業能力開発局 能力開発課長
波積 大樹 様
(2017年5月掲載)

平成29年3月11日(土)、中野サンプラザにて『私のキャリア形成 ~パラレルキャリア的生活~』と題した講演会を開催いたしました。
本講演会は、平成28年度 キャリア形成支援シンポジウム(第一部 講演会、第二部 第27回 優良講座優秀者表彰式、第三部 第27回 優良講座優秀者表彰式交流会)内にて行われ、100名を超える方にご出席頂きました。今回は、 厚生労働省 職業能力開発局 能力開発課長の波積 大樹様をお招きし、キャリアの築き方や能力開発行政から見た、働き方改革の方向性ついて、お話をお伺いしました。
3回に分けて掲載をいたします。本ページは、1回目です。

1 はじめに

ただいま、ご紹介いただきました、厚生労働省の波積でございます。

まず、皆さん、今回の私の講演のチラシを見られた方、おられますか? (こちらを参照)
私のような役人の講演のお知らせとしては、なかなか思い切った内容となっていたので、事前に私の友人や知人が、どのような反応をするのか、確かめてみました。

面白かった反応の1つは、私の役所の同期のものでした。「実際、好きなことしか、真面目にしてないんじゃない?」(笑)。私自身、それ程、自由気ままに生きてきたとは思いませんでしたが、同期からはそう見えるようです。(苦笑)

次に面白かった反応は、某局のニュース担当の友人のものです。「役人の仕事は空気を読むことだろう!空気読まずに何やってるんだ!」(笑)と。もちろんこれも、昔から私のことを、よくわかったうえでの半分冗談めいた発言です。

ただ、この実際に配られたチラシ、どの友人、どの知人からも「お前のキャラクターと違う!」とは言われなかったので、おそらく私は、外から見ると、このチラシで感じられるような人間なのかと思います。

周りからは、奇しくも、そのようなキャラクターとして見られている私ですが、本日は少し真面目にお話しをさせていただければと思います。まず、お手元に資料を配っています。
1番目には、「私のキャリア形成~パラレルキャリア的生活~」
2番目には、「能力開発行政から見た、働き方改革の方向性」とあります。
自分が作ったレジメですが、各々全然方向性が違う話なので、うまくつなげて話をするのは難しいな、困ったなと思い、少し困惑しています。もしかしたら、1番目で話しすぎると2番目の話は駆け足になるかも知れませんが、2番目についても、少しでもお話しして、情報として持って帰っていただければと思います。

2 事前に考えていたこと、前もって知ってもらいたいこと

今日の話、大雑把な流れでいうと1番目の「私のキャリア形成」、サブタイトルにもあるとおり、パラレルキャリア的なことをして生きてきたという話を致します。これは、JADでも講演等をされておられる、法政大学大学院の石山恒貴教授かそのゼミ生の方に、私自身のこれまでのキャリアや活動について話していたときに言われた言葉から取っています。確か、「波積さんは、お金は稼いではいないけれど、事実上(今はやりの)パラレルキャリアを生きているね」と言われたのです。そんなことも有り、今回のタイトルにも入れさせて頂きました。

パラレルキャリア的といっても、仕事以外のプライベートな活動ですから、当然の如く余り周りの空気を読まずに、自分の好きなようにやってきた部分が、確かにありました。そんな活動が、不思議な話ですが30年近く活動していると、何故か「仕事」に結びついてきてしまった…。当初、そんな話だけを、メインでするつもりでおりました。事前の事務局と皆さんとの打合せの場でも、割と意見が一致しておりまして、「その流れで行こう!」と今週の頭までは思っておりました。

ただ、よくよく考えると、ちょっと自分のなかで「違和感」がありました。皆様方に来ていただき、私のちょっと変わった体験談?をする、これだけでは、この時間がもったいない。折角ですので、少しは実際に生きるヒントになることも、話したいと思ったのでした。

まず、何故自分がこういうパラレルキャリア的なキャリアを形成してきたのかを考えると、当然のことながら、自分の中に「原点」があったこと、それを思いつきました。その話をしないと、そもそも話には入れない。原点があって、今があるのだろうと思いました。

それでもまだ、自分の中に違和感がありました。大事なことを伝えられていないような気がすると。今週、正確に言うと3月9日(木)になって、あれだ!と思い至りました。要は、資料の次のページに書いたような補足説明がいると思ったのでした。

2-1 隠れた前提

冒頭、私の経歴を紹介していただきました。皆様方はJAD優良講座優秀者等としてここに来られています。それを除けば、私と皆様方との間には、何も共通の情報はありません。偶然?壇上で話している一人のおじさんがいるというだけの話です。

人間は「誤解」をする動物であります。補足説明では、一番上に、「隠れた前提」と書いてみたのですが、世の中には、人である以上「共通の認識がある」という大きな「誤解」があります。家族でも身近な友人でも、色々な「誤解」があちこちにあります。ましてや、私と皆様方との間は、それこそ、「誤解」が「集積」している関係であるとも言えます。その誤解を解く手順が、本題に入る前に、一つ必要だと考えたわけであります。

今、私には、高校1年生の娘がいます。もうじき、高校2年生になるのですが、時折、数学の勉強方法が分からないなどと、私に質問をしてくるので、アドバイスをしています。でも、中々思うようにならないようです。何故かしら?と思って、さらに色々聞いてみると、実は「共通の前提」が成立していなかったことに気がつきます。「間違った問題は、後で3回解けばできるようになるよ!」とアドバイスしましたが、これ、「3回」って比喩なのですね。で、「3回目で解けなかった問題を4回目も、やってるかい?」と改めて聞くと「やってないよ。だって、お父さん3回って言ったじゃない!」。

そう、そこにあるのは「文字通り」の理解。私と娘の間には、共通の前提は成立していませんでした。3回は比喩。そして、3回目の後、4回目で出来なかったら、5回でも6回でも7回でも、できるようになるまで、やらないといけない。私にとって、娘との「共通の前提」づくりが大事なことが分かった「きっかけ」となる事件でもありました。

もちろん、私の子供である娘と皆さん方とは違います。が、お互いの「常識」は様々です。そんなことも有り、冒頭、時間を頂きます。

2-2 自分が物事を決める基準:「主観」と「客観」→背後にあるのは「性格」

次に、私が何か物事を決断する、といっても仕事自体での具体の決断ではなくて、個人的に重要なことを決断するときの「思考の枠組」「意思決定の枠組」は何かを考えました。単純化すると、私は、「主観」と「客観」に分けて、最後はそれを総合して判断して決めていました。その折り合いをどうつけるかが難しい、というのが自分にとっての問題意識です。

私にとって、特に大事なのは「主観」的な判断です。「主観」的な部分の判断基準、人によって、かなり違うと思いますが、私にとっての決定的な要素は「好きか、嫌いか」でした。

ただ、これだけだと、まだ、最後のピースが埋まっていないと感じました。何だろう?と悩んで、昨日の通勤途中にふと思いつきました。主観部分での好き嫌いは、確かに自分で決める時の大きな基準ですが、それには、さらに根拠があるはず。それはおそらく、自分の持って生まれた「性格」なんじゃないかということです。

私達、普段は自然体で生きています。自分の判断の根っこにある性格のことは考えませんが、この部分に触れないと、どうも、今日の講演では「共通の前提」をお話ししたことにはならないようなのです。

通常、公務員は、講演では仕事の話をします。お話しする皆さん方とは「仕事」という共通点があります。「仕事」の話なので、自分語りはしません。しかし、今回は「自分語り」がテーマと、役人的には掟破りな話です。ただ、芸能人のような有名人ではない私は、根っこの「性格」を語らねば、前に進めなかったわけであります。

そして、最後のピースとして、性格分析の手段である「エゴグラム」が、はまりました。朝の満員の通勤電車で、気分が「すっきり」した瞬間でした。これで、今日の本番、漸く話ができる目処が見えてきた!と思いました。

今日の私の話は「ケーススタディー」です。ある特定の性格を持った人物(私)が、どのようなキャリア形成をし、今に至るのかを、1つのケーススタディーとして皆さんにお示しします。私と同じタイプの方は、身近な経験として理解できるはずですし、異なるタイプの方は、性格分析を通じて、ご自分のことを考える参考に出来るのではないか。そう納得でき、気持ちが楽になりました。

まず、私の「意思決定」の仕方、この20年以上自分自身を観察し、最近分かったのですが、
① まず、客観的、論理的に、ある程度、「納得感」が得られるまで徹底して考えて、一定の比較的「客観的」な「結論」「方向性」を出す。
② 次に、実際に、どのように行動するかは、その客観的な「結論」が、主観的に考えて、要は、自分にとって「好きなことか」「気持ちよく感じられるか」どうかで決定する。
というプロセスをたどっていました。この補足説明資料にもある通り、「客観的、論理的に考え、主観的(情熱的)に決定」してきたのでした。

論理的な「結論」と「好き」あるいは「気持ちいい」が違う場合は、余程、悪い判断と感じられない限りは、私は、後者を「好きな方」を選びます。そして、この「意思決定」の仕方が、がエゴグラムの分析に、ぴったし当てはまるのです。

自分のキャリア、自分で考えて苦労して、決めてきたつもりでした。しかし、改めてエゴグラム分析結果を自分の行動に当てはめてみたら、エゴグラム分析で示された「個性」で、相当部分が説明できるのです。

ちょっと気持ち悪い「感覚」です。自分自身が決めたと思っていたが、「個性(性格)」から自動的に決まった結果にしか見えないと言う「他律感」、「あれ、自分は、自分の人生の主役ではなかったのかも?」という違和感です。実は、今日は、そんな気持ちを持ちながら、この場に立っているところです。

2-3 エゴグラムの性格分析と私

エゴグラムがメインではないので、簡単に説明します。詳細は、インターネットで検索して見てください。補足資料では、
「○ エゴグラムによる性格診断:5つの自我状態
  ①CP(支配性):厳格な父親 「理想主義」⇔低すぎると無責任
  ②NP(寛容性):親身な母親  「奉仕主義」⇔低すぎると人に拒絶的
  ③A (論理性):成人度高い「合理的な大人」⇔低すぎると計画性なし
  ④FC(奔放性):知的好奇心「純粋な子ども」⇔低すぎると無気力
  ⑤AC(順応性):いい人的 「従順な子ども」⇔低すぎると自己中心的」
と書いておきましたが、これを、私自身に当てはめてみます。

一番高い傾向を示したのが、4番目の「奔放性」です。「知的好奇心」、「純粋なこども」まさに、これはまさに「好き嫌い」という基準そのものです。ちょっと低いのが3番目の「論理性」。とはいえ、これも、すごく高い。奔放性が満点で、あれば、論理性が99点程度の違いです。論理的に考えるけど、最後は、気持ちで決めるっていうのは、まさにエゴグラムの優先度通りの判断基準でした。
次に高いのは2番目の「寛容性」です。今の職場の同僚も、波積は、寛容だ!と思っているのではないかと信じています。(笑)

一方、低い方を見るとまず、1番目の「支配性」、これは普通レベルですが、おそらく職場でも、余り厳しくないと自分では思っているので、当たっているのではないかと、勝手ながら想像します。
そして、一番低いのは、5番目の「順応性」です。思い起こせば、子どものころから「あまのじゃく」でした。確かに順応性がなかった。両親から、「こっちおいで」と言われると「(絶対)行かない!」という子どもだった。

いやあ、エゴグラム、当たっています。やってみると気持ちは悪いですが、その意味でも、おすすめです。皆さん方も、ご自分のエゴグラムを見て、気持ち悪さを、実感して頂きたいところです。

ちなみに、エゴグラムは、プライベートの人格と、仕事人格で変わります。10年以上働くと、多くの方は適切な仕事人格を形成しているはずだと思います。私も、仕事で対応した場合どうするかを考えて、エゴグラム分析をしてみました。すると、プライベートの人格では、とても低かった「順応性」も、普通だった「支配性」も、仕事人格では「寛容性」並みに高くなり、全体として適切な?仕事人格を形成できています。

2-4 主観と客観:どう折り合いをつけるか?

本講演は、私のパラレルキャリア的形成がテーマですので、自分が人生の重要な決断をするに辺り、どう判断してきたかの前提となる話を、この辺りで説明させていただきます。

ある特定の方向性を持った行動をどのように判断して選択するかは、どうやら根っこにある性格が決めているようではありますが、実際の行動は、皆さん方もそうかと思いますが、その都度都度、特定の状況・条件の中で、真剣に悩んで判断します。

その際、主観的な判断と客観的な判断を、どのようにして折り合いをつけるかは、誰にとっても、大きな問題となるはずと、私は考えます。(違う人もいるかも知れませんが…)

主観的な判断基準は、色々とあるでしょう。「好き嫌い」以外でも、性格によっては、「正しいか正しくないか」、とか、「好かれるか嫌われるか」とか。また、そんな主観的な、自分で自然に感じられる判断とは別に、ある仕事やある分野が、客観的にみて自分に「適性」があるかどうかを判断することが、本来なら必要になりそうです。これは、仕事に絡めば絡む程、重要な問題となります。皆さんも悩んでいると思いますし、私も当然悩んできたとこです。もちろん、今でも新しい事態にぶつかる度に、悩みます。

その際、私は、時間が経つにつれてというか、歳を取るにつれて、客観的な「適性」は「他人」が測るもの、「他人」が「評価」するものだと考えるようになりました。学力にしても、体力もそうです。事前に、自分自ら、測ること、分かることは出来ない。(出来ていると思っても)実際は、他人が測った結果について、後から並べてみて、自分が上にいるのか下にいるのかが、わかるものだと思います。

仕事、趣味等々への「適性」は、事前に自分では分からないものです。特に数字化されにくいものは、本当に分からない。また、現時点での他人からの「適性」に対する評価は、現時点では絶対的です。仮に、他人からの指摘で、評価が分かったとしても、自分で努力して直ぐに直せるものではありません。今すぐは、努力しても、動かせない。少なくとも短期的には、自ら動かしようがないものです。

そうなると、私の思考は、こうなります。今すぐに自分で動かすための努力ができないこと・ものについては、真面目に考えても仕方が無い。要は「短期的」な意味では、関心がなくなります。自分に「適性」があるはず!と、他人に働きかけて、現在の評価を変えさせるような行為は、余程追い込まれない限りしません。また、何か新しい行動をする前に、現時点で自分に「適性」があるかどうかは、考えないようにして生活しています。

他方、自分で動かせるものがあります。まずは、主観的な気持ち、自分の場合は「好き嫌い」の感情です。これは、かなり意識的に動かせます。もちろん、限界はあります。私は、高所恐怖症なので、高い所から飛び込むのは全くダメですが、これ以外なら、相当程度、自分の「好き嫌い」の気持ちを、自分で意識して動かせるのかなと思います。

今日は、上司がいないから気軽に言いますが(笑)、嫌いな上司、苦手な上司にわざと近づくというのも、一つの手なのです。時に、このようなことを自分に課しているところがあります。一見して、嫌い、あるいは苦手な人がいる。そういう人に、敬遠して近づかないのも、精神衛生上は、もちろんありです。ただ、自分の中には、嫌いな分野、人をなくしたい、そのことで、自分の活動範囲を広げたいという思いがあります。

人に限りませんが、わざわざ嫌いな人や分野やものに、近づいていってみる。この人のどこが嫌いに感じるのかな?というところを、割と分析好きだから、分析してみます。分析していると、だんだん嫌いなところが、可愛くみえてくることが結構あります。皆さんも過去の経験であると思います。

最初、苦手と思う人、嫌いと思うものがあったとします。試しに、近づいてみる。さらに、色々、仕事や遊びなど、一緒の経験をしてみると、いやな部分がいい方に転換する人、そう思うようになるものが、少なからずあります。生きるときに大事なことは、自分が好きな部分、分野をいかに広げていけるかということ、それが、すごく大事だと思っています。だから、嫌いを好きに転換する努力をする。自分が楽しめる場面を増やす努力をする。すると、好き嫌いを基準にしていても、楽に生きられる世界が広がります。

一方、向いていない、向いているについては、短期的にはどうにもなりません。これは時間をかけて、努力して、自分の能力を上げて、「結果」をだすしかない。

とはいえ、「長期的」には、自分で動かせます。これは、悩むぐらいなら努力しろという世界です。勉強では学力つけるしかないし、体育だったらトレーニングしないといけない。今すぐには解決できないが、時間をかければ解決できるかもしれないことは一杯あります。

いずれにしても、主観的な部分と、客観的な部分、特性が違うから、しっかり見極めて、それぞれについて、どう対応するかを決めなければいけません。

なお、余談になりますが、主観と客観ですが、TPOで変化します。最近、テレビでも東大話が流行っているようなので、「東大あるある」の話を事例として紹介してみます。

20年ぐらい前の話です。当時、東大教養学部で政治学を教えていた某教授の初回の授業のこと。私の第一印象は「先生、なんだか疲れている。どうも、1年生に授業をしたくないように見えるなあ」と思っていたら、「君たちは、自分が頭がいいと思っているかも知れないが、自分(先生)から見ると出来が悪い。偏差値のグラフの上だけ(右側の三角形)を切り取ってみてくれ。出来る人は、わずか。圧倒的に出来ない人間が多い。その結果、合格点をつけられない人にも単位をあげるために、下駄を履かせないといけない。本当につらい!」(せめてしっかり勉強してくれ?!というメッセージかと思いました!)

母集団が変わると、客観的と思われる「適性」(評価)さえも大きく変わります。あの大学の中にいると、実は、試験ができない「頭が悪い人」が多数派になるのです。多くの人が、大学に残って教授になりたいと思っていたのではないかと思いますが、希望してもかなわず、挫折感を持って卒業している方も多いはずです。学者にはなれなかったけれども、社会に出て仕事で頑張ろう!と思っていると思います。TPOが変わると、「評価」も大きく変化する好例です。

(もっと分かりやすいのは、野球やサッカー等のプロスポーツの世界かも知れません。運動の「天才達」が集まる場ですが、そこでも天才で居続けられる人は、極めてまれであること、皆さんもご存じの通りです。しかし、一般人に混じれば、天才ばかりです。)

2-5 主観と客観:4分割のマトリックスと9分割のマトリックス

段々、脱線して、何の話をしているかわからなくなってきておりますが(笑)、さらに、仕事の好き嫌いを考える時に、必要と考えたのが、補足説明資料の一番下の2つの表です。

資料では、
「(1)単純に、「好きなこと」と「向いていること」
 向いてない   向いている
   △     ○   好き
   ×      △?     嫌い

(2)もう少し「仕事」寄りで、「好きなこと」と「向いていること」
向いていない  普通  向いている
     △         ○     ◎   好き
   ×        ○       ○    普通
   ×        ×    △?   嫌い」
となっています。

はじめのマトリックスは、「好き・嫌い」の主観軸、「向いている・向いてない」の客観軸で、4分割になっていますが、次のマトリックスでは、それぞれ真ん中に、「普通」を入れて、9分割にしてみました。

自分の趣味の世界には、普通はありませんが、仕事の世界だと、普通ってありますね。好きでも嫌いでもないけど、普通なこと。仕事を考えるときは、やってもいいことです。

この9分割されている分野のうち、◎(主観的には好きで、適性として向いている)か、○(主観的には好きだが適性としては普通、主観的には普通だが適性としては向いているか普通)の4つの枠の中で、できれば仕事をしたいですよね。私もそう思います。

その時、自分にとって問題となる×や△の仕事をどうするかが、個人としては問題となりますが、組織全体で見れば、僕にとっての×が、◎○という人もいるはずです。私は、この観点から、組織で仕事をするのがいいなあと、感じていました。

それが、組織で仕事をする大事なメリットですから。また、全員にとって×の仕事も、組織であれば、順番にこなすという、組織の良さを活かした対応もできるはずです。(少なくとも観念的には。)大事なことは、×の仕事を、1人で抱えないことです。

続きは、その2>>

講演者プロフィール

波積 大樹様
厚生労働省 職業能力開発局 能力開発課長
昭和57年3月 埼玉県立浦和高校卒業
平成2 年3月 東京大学法学部卒業
     4月 農林水産省入省、林野庁に配属
その後、
・農林水産省勤務  (担当業務:米価決定、食糧管理法改正、商品取引所法改正、 種苗業界対応、農協改革、農地制度改革、技術開発など)
・地方勤務(熊本県御船町役場、関東農政局)
・他省庁勤務 (阪神・淡路復興対策本部事務局、総合規制改革会議事務局、
  在ロシア日本国大使館(モスクワ勤務)、 公害等調整委員会事務局など)
の業務を経て、
平成27年9月 厚生労働省職業能力開発局能力開発課長